武生支部

剱神社

越前二の宮 「剱神社」

 上古より座ヶ岳(くらがたけ)の峰にまつられていた須佐之男大神(すさのおのみこと) の御神霊を、第十四代仲哀天皇第二皇子忍熊王(おしくまのみこ)が現在地に奉斎されたと伝え、 後世、忍熊王の御神霊を併記した。
 神功皇后摂政の頃、忍熊王が賊徒討伐の時、素さの鳴大神の御神の神助を蒙り討ち平らげ、 王は神恩報謝の為、織田の地に社を営み劔の大神とまつられた。
 奈良時代より祈願の霊場として朝廷初め国内多くの人達より厚い信仰を受けてきた。
 現在所蔵する国宝の梵鐘は奈良時代末期第四十九代光仁天皇御奉納と伝えている。
 中世以降武門では、平家、斯波、朝倉、織田、柴田、徳川、松平の諸将の崇敬厚く、 ことに織田信長は氏神と嵩め、格別の信仰と共に、神領を寄進し領民を安堵し、神社を保護した。
 江戸時代の末には伏見宮家の御祈願所と定められ、 拝殿の御寄進を初め厚い御尊嵩をうけて今日に至っている。
 越前の国二宮として、一宮の気比神宮とともに福井県民の信仰厚い神社である。

「剱神社 本殿」<県指定文化財>

 本殿は、長寛二年(1164)頃に建立されたといわれているが、焼失し、 宝徳三年(1451)頃に再建されたと伝えられ、今日までには、天正二年(1574) の一向一挨、慶長三年(1597)の大閤検地騒動、自然災害などに遭遇し、 社殿の一部解体修理や屋根葺替えを重ねてきた。
 現在の本殿は、寛永四年(1627)再々建されたものである。
 この本殿は、高さ一メートルほどの基壇の上に建てられており、 亀腹は青色切石を使っている。屋根は入母屋造り、柿葺で、 千鳥破風が主棟と同じ高さで前方に突出し、さらにその直下に唐破風をもつ向拝が設けられている。
 千鳥破風や唐破風をもつ屋根の流れは見事であり、「織田造り」と称され、 江戸初期の秀麗な姿をとどめている。

「剱神社の宝物」

<梵 鐘>
国宝・時代 奈良時代


<絹本著色釈迦八相涅槃図> 
重要文化財・時代 鎌倉時代中期


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